日本律令における「女帝」の位置付けを巡る、
研究史の簡単な整理がある。
なので、いささか以前に書かれたものであり、
別に紹介したこともあるが、念の為に、ここに掲げておく。「古代史学界では、すでに今回の高森(明勅)氏の
問題提起の数年前から、成清弘和氏や春名宏昭氏などにより、
『養老令』「継嗣令」皇兄弟子条の『女帝子亦同(女帝の子も亦〔また〕同じ)』
といふ記述(大宝令にも同文があった―引用者)に依拠して、
律令制下の日本では、当時のシナと異なり、『女帝は男帝となんら
変わるところのないものとして日本律令に規定されていた』
『日本の律令制では“女帝”は制度的に位置づけられ、予定されていた』として、
女帝の所生子が『親王』(皇位継承候補者)とされる(『女系』の容認)と
見なし、『双方制』といふ親族組織に大きく規定されるものであつた
といふ見解が複数の研究者によつて支持されてきてをり、
これが徐々に共通見解になりつつある。この前提には、文化人類学の家族・親族論を援用しつつ、
古代日本の双系的(双方的)親族組織論を唱へた吉田孝氏をはじめ、
明石一紀氏・義江明子氏などの研究の展開により、『双方制』は
現段階では通説的な位置を占めるに至つてゐることが背景にある」
(藤田大誠氏「最近の『女帝』論議に関する覚書」、
神社本庁教学研究所編『皇室法に関する研究資料』〔平成18年〕所収)第三者による研究史の概括として、特に訂正の必要は無いだろう。
又、私の「問題提起」が学問上、決して孤立したものでも、
的外れなものでもないことを、客観的な評価を介して
理解して貰えるはずだ。男系限定に固執する人の中には、「双系(方)」という
学術用語それ自体を知らないで、「双系なんて無い。そんなものは
『雑系』だ」と息巻いておられた人もいて、少し呆(あき)れた。
学問的に無知な上に、ご自分がすっかり「からごころ
(シナ文明の男系絶対への心酔)」の虜(とりこ)に
なってしまっている自覚も、恐らく無いのだろう。【高森明勅公式サイト】
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